今、食品偽装が話題となっています。私が、この原稿を書いている間にも、地元の飛騨牛の事件が取り上げられています。骨董の世界にも偽装(所謂、贋作)が多くあり、これが骨董の世界を魑魅魍魎とさせていることはいうまでもありません。私もよく骨董市に行くのですが、贋作もしくはコピー品が平気で売られているのには辟易します。そんなある日、偽装であるその古唐津の(無地唐津)ぐいのみは売られていた。売られていたお店は骨董屋さんと言うより、フリーマーケットのように、雑貨なんでもありの店にちょこんと置いてあった。「おお古唐津の立ちぐいのみだ。」と、思わず心の中で叫んだ。でも、待てよ、こんな所に古い唐津が置いてあるはずがない。「やったこれが、掘り出しと言うものなのか。」 感動のあまり全身に、電気が走ったような身震いがした。店主に値段を聞くと「五百円だよ。」と言う返事。あまりの安さに、また驚きつつ、即座に購入した。「この店主は古い唐津を知らなのか?」と疑問に思いつつ、嬉しさのあまりこのぐいのみひとつ購入しただけで、すぐに帰途についた。この時に、店主の話を聞いておくべきだったのが悔やまれる。
でも、帰りの電車の中でもう一度そのぐいのみをしげしげと見た。「違う、姿はいいが、肌触りが変だ。」と感じた。以前、古唐津の陶片を触った経験があるので、しまったと感じた。購入した時は、いい土味で高台の造りもいいと思っていたのだが、釉調がなにか違う。もっとよく見てから買うべきだったと後悔したのである。やっぱり、世間で言う掘り出しものでなく、ニセモノという灰色の判定を自分自身で下した。その後、唐津に詳しい骨董屋さんに見てもらうと「これは、現代作にフッ化水素をかけてつや消ししたもの、よく出来たニセモノ。」とのお言葉を賜った。また、初心者がだまされる典型的なニセモノであり、まだこんなものが市場にあるんだと言われた。かなり前に初期伊万里、古唐津のニセモノが流通したらしいが、その時のものらしい。多分、店主はこのぐいのみの素性を知っており、わたしに五百円で売ったのだと解釈した。普通なら、そのぐいのみをぶち割りたくなる気持ちになるが、自分の鑑識眼の甘さと、掘り出し根性を戒める為、身近に置いている。そして、世間にはそんな美味しい話は転がっていないことを、改めてこのぐいのみから学んだのである。骨董を始めた頃のほろ苦い思い出ですが、今ではよく見てから買うということを肝に命じております。
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