私は一九五〇年生まれである。物心がついた頃、祖父はまだ元気で、大変な愛煙家であった。当時の煙草といえば専らきざみで、煙草を吸う人はみな煙草入れを持っていたものである。祖父も御多分にもれず一つの煙草入れを愛用していた。その後、祖父は私が中学校二年の時に他界し、祖父の煙草入れのことは、すっかり頭の中から消え去っていた。
私が骨董収集を始めたのが二十五歳の頃であるから、祖父が亡くなってから十年以上が経ってからのことである。まず自分の家にお宝が眠っていないかと、納屋や押入れの中を捜し回っていると、押入れの片隅に煙草入れがあるのを発見した。はじめは、何故こんな物がここにあるんだろうと不思議に思ったが、やがて少年時代の記憶が蘇った。まじまじと見ると、それは祖父が愛用していた煙草入れにほかならなかった。この煙草入れは欅で出来ており、上から見ると細長い六角形をしている。表面は全体に彫刻が施され、手垢がついてトロトロ感がある。これはいい掘り出し物をしたもんだと早速コレクションに加えて眺めていた。
それから五年ほどしてのこと。この頃になると、何でもかんでも集める訳ではなく、収集範囲も掛時計、置時計、ランプなど限られた物になり、そういった品物を扱う骨董屋へ足しげく通うようになって、所謂「行きつけの骨董屋」というものが出来てくる。
その骨董屋が家に遊びに来た。その時その骨董屋がこの煙草入れに目をつけ、譲ってくれないかとのこと。この時は、祖父の形見を売ってしまっては申し訳ない気がして、買値も聞かずに断った。
それからまた五年程してのこと。行きつけの骨董屋にどうしても欲しい時計があるが、資金繰りがままならない。資金の足しにしようと一大決心をして祖父の煙草入れを手放すことにした。この骨董屋へ持ち込むと買値は五千円だという。この値段が安いのか高いのかわからないままに、手持ちの資金とこの五千円で目指す時計を手に入れた。この時計は長い骨董遍歴の中で下取りに出してしまい、今は手元にない。
その後、時は流れ、五年程前のことである。この頃になると骨董市や蚤の市がいたるところとまではいかないが、私が骨董を収集しはじめた頃よりは遙かに多く開催されるようになり、できる限りこういった場所へ足を向けるようにしていた。そんなある日の蚤の市。この蚤の市は毎月一回開催される市である。出店数は二十店近くもあっただろうか。季節は確か夏だったと記憶している。夏の暑い中で、思考力・決断力ともに失われようとしている時に、ある店の一品に目が釘付けになった。と言うのは、そこに祖父の煙草入れがあったのである。懐かしさとそれが祖父のものかどうか確かめるため手に取ってみると、紛れもない祖父の煙草入れであった。この煙草入れが私の手を離れてから既に二十年以上も経っていたが、またこの煙草入れにめぐり会おうなんて思ってもみなかったことである。懐かしさのあまり、買い戻そうと値札を見ると何と三万円とある。その時、三万円は手元にあったが、これを買ったところで、私の収集アイテムでもないことから、その場は見送った。売った時が五千円で買おうとしたら三万円。これを骨董業界で「出世した」というのかどうかは分からないが、私の心の中では「高くなったもんだ」との感があった。
今でも祖父の煙草入れはちょっぴり懐かしく、祖父に対して申し訳ない気がしないでもないが、煙草入れは収集範囲外であり、それを手放したことに未練は感じていない。祖父は天国で何と思っているだろう。
これは長い私の骨董収集歴の中で手放した物と再会した懐かしい思い出である。もう二度とあの煙草入れに出会うことはあるまい。今は祖父の煙草入れがコレクターの元で、ショーケースにでも収まって眺められていることを願うのみである。 |