千葉県から転勤で岐阜県に飛ばされた。縁故もなく全くの知人も無ければ友人もいない所だった。数ヶ月して日常の生活に慣れ始めると休日の時間を過す難しさをいやという程味わった。誰も知り合いがいない事は自由だが営業でない身には時間を潰す物がない。買い物といっても何も欲しい物もない。図書館で近隣の景勝地廻りでもしょうと本を借り、ついでにスーパーで小型カメラも買った。
有名な所は土日はひとが混み合い何となく腰がひけた。六月末、ちょうど関ヶ原合戦400年等の催事があちこちで催されていた。重要伝統的建造物保存地区に指定されている興味のない人には知られていない所を選び予定を立てた。滋賀県五個荘町金堂に行ってみた。時代がタイムスリップした様な景色がいたる所にあった。もう二度と来る事もないだろうとカメラのシャッターを押し続け薄雲の全く人の居ない時代ががかったこの地に自分を置いたことが不思議なくらいだった。
帰りに彦根城に立ち寄ろうと思い、車で帰り道を間違え細い路地に入り込みuターンしょうと骨董屋さんらしい所の駐車場でターンさせてもらった。店から女の人が出てきたので、お詫びして出て行こうとした所 「店、みていかへんのんか?」と聞かれたので車を停め店の内を見せてもらった。客は誰も居なかった。店の中は雑然と古い近江箪笥の中や棚に器が沢山並んでいた。古い民芸品や何に使ったか判らない大きなカメや木箱に入った漆器類。「何が好きなんやな?」と聞かれ困ったが 「焼き物です」と答えたが、自分が何が好きなのか本当は判らなかった。そして勧めるがままに何にでも使えそうな小皿を家族分だけ買った。思ったより安価だった。
数日して新聞の勧誘の人がアパートに来て玄関先で話をした。「店の主人が骨董好き」と話していた。知り合いも居ないので次の休みの日に新聞店を訪ねて行った所。話が合った。月末に一緒に先日伺った彦根の店に行く事になった。
店ではお茶を出してくれ詳しく色々説明してくれた。世間話などして京都の話になった。一緒に行った新聞屋さんは京都の大学に通っていた為、話しが様々通じ合ったようだった。店の隅で、すすで黒ずんだ箱の中に笹の絵が描かれている汚れた皿が目についた。箱の蓋に字が書かれているが汚れと煤で黒くて読めない。店の女の人が 「安くしとくから買うてね」と言っていた。箱に虫喰い跡もあり、気に入ったひもが通せる様になっている。店主は 「今度町内会の旅行で足立美術館に行くのんやから費用の足しにしたい。是非買うてェな」との事。値段はあんたはんが決めてええ」と言ってくれたが全く値は判らない。今度また来るから、と言ってその時は連れもあったので帰った。
夏の農道に陽炎か立ち上がる程熱い日に書類の納品の仕事滋賀県八日市市迄行く事になり、午前中に仕事は終わった。帰りに彦根の骨董屋さんへ寄ってみた。遅い昼食のソバをご馳走してくれた。一人前は届けてくれないので丁度良かった。前に見た雀の皿はそのままだった。
約束したつもりはないが結局、私の言い値で預けて貰った。女主人は 「店の物を売ってまるで蛸みたいに自分の足を食べているみたいや」と言っていた。バブル時代が弾け一時のブームがすでに去った後だったので、こんな事で商売になるのかと思った。家に帰って皿も箱も何度も汚れを洗った。
箱の字は斜めにしても逆さにしても読めない。水に濡らして陽にかざして見ると僅かに
寛保三年伊万里焼六寸皿揃えと読める。西暦1743年だ。皿の中の雀は約260年位前の雀の姿だという事が判った。呉の色は良いが白い部分は振り物が多い。形はその当時のものなのだろう。美しさはないが古さはわかる。
低い箪笥の上に皿立てで飾ると部屋がたった一枚の遠く時代が染みてみえた。すごい存在感があった。
彦根の女主人はあの年の秋に足立美術館の窓枠にした日本一の庭の景色を見たのだろうと思った。まだ元気なのだろうか?いつか伺う機会があったら聞いてみたくなった。皿の中の雀は260年たった今でも皿の中から飛び出しそうな姿勢をしている。古い時代のものほど新しく見える様な気がする。窓から見ると北西側に伊吹山が西日を受け山の形で輝いていた事を思い出す。
詳しく年代を調べると雀と笹が無名の絵師によって描かれたのは、尾形乾山が没した年である事が判った。鑑識力がある訳ではないが、この皿の寿命の長さと西国から流れてきた足跡を思うと、雀の可愛らしさが一層増す様に感じられる。私の眼の力はまだ美に対して養われていないが、自分の歴史の短さを知った。又、時代を重ねる毎に消えていく古い美しいものに心惹かれる自分を改めて認識した。 |