群馬県藤岡市、ここに中世の関東の都といわれた名城があった。平井城である。ここは関東管領山内上杉氏の、本城であり、関東の都であったのである。最盛期には五万人とも、十万人とも言われる城下町が連なり商業も栄えて、諸国の商人や文人墨客の往来も絶えなかったといわれている。
今は廃墟と化した平井城跡に立つと、一面に、草原が連なり、農家も点在する寒村であるばかり。十万人の大都会が在るったなんて夢のまた夢である。想像だにできない、うらさびた農村風景である。
さてそんな栄華の平井城にも、新興勢力の小田原北条氏が刻一刻とせまっていた。川越夜戦で退廃した上杉氏はそれ以来、平井に蟄居状態、もはや没落の影はいかんともしがたい状況であった。
天文二十年八月、北条氏康は平井城に攻撃を仕かけたのである。そのころ多くの上杉方の家臣たちは既に北条方に寝返っており、平井城に集まったのはわずかに兵五百人とも言われている。
それを見た上杉憲正は、五十九人の兵とともに越後の長尾景虎を頼って夜陰に乗じて平井を後にしたのである。残された城兵は良く戦ったが多勢に無勢、勝てるわけもなくあえなく落城したのである。
そして、城に残った妻子は、近くの民家に身を潜めたのである。長男の竜若丸は、家臣・目加田信介とともに、次男・鶴若丸は幼き身より乳母とともに、支城のある吉井町方面へ。しかし、家臣・目加田真介は、なんと竜若丸を北条方に引き渡して自分の助命を嘆願したのである。
直ちに小田原に護送された竜若丸は斬首、そして主君を裏切った目加田は助命どころか、見せしめとして貼り付け市中引き回しの刑に処せられてしまったのである。
さて乳母と逃げた次男・鶴若丸の運命は。乳母とともに西平井まで落ち延びたところで追っての兵が迫り、乳母と若君は小さな橋の下に身を潜めたという。しかし、あえなく見つかり、殺されてしまったという。乳母は最後まで若君を守ろうと奮戦したという。
後世、この乳母を称えて、
「上杉城主幾興亡 平井の繁華夢一場 乳母の忠魂地蔵に留まり
千秋万古 人をして傷ましむ」
と、顕彰されているほどである。
同じ死とはいえ、家臣の裏切りによって差し出された長男・竜若丸。それに比べ、権謀術数渦巻く戦国時代とはいえ、主君に最後まで忠節を尽くしたけなげな乳母の思いが、鶴若丸の死をいっそう哀切きわまるものとしたのであろう。
しかしこの乳母の名も伝わっていないのである。無名の乳母と高名な家臣・目加田真介の裏切り。戦国の世の、親子さえ裏切りあうという、下剋上に咲いたけなげな一輪の野の花のように、乳母の思いが今にまで語り伝えられているのは、人々の共感を呼ぶからなのであろう。
今、西平井の道をたどると、路傍にひっそりと小さな祠が立っている。それが乳母神社である。乳母の遺徳を称えて立てられた分霊堂である。そこの記念碑にはこんな揮毫が掘り込まれている。
「若君と 共に野末に 散り果てし 乳母の御魂は 尊うとかりけり」
遠い遠い昔の戦国の世の落城哀史である。 |