ここ数年来、毎月第四日曜日に開催される、ある骨董市に必ずと言って良いほど出かけていた。顔ぶれは、私と運転主役の家内、そして私の友人AとBの4人連れである。AとBは、月に一度の骨休みと酒などきこしめていつもご機嫌である。
友人Aは主に焼き物関係、友人Bは武具類、家内は古裂類、私は仏像や彫刻関係と、それぞれの好みが異なっているので、同じものをめぐって競い合うこともなく、それぞれが自分の気に入ったものを求めて楽しんでおり、いつしかなじみの骨董屋さんも何人かはできてきていた。
ところがである。3月11日にドスンときた。震度6強。我が家は外部が一部破損、家の中は物が飛び出して足の踏み場も無く、歩きようもないくらいであった。やや落ち着いてから友人二人に電話をしたが、とても通じるものではない。どうしているかと案じていたら、翌日A夫婦が来宅した。津波で家が完全に駄目になり、着のみ着のまま逃げて、昨夜は避難所で夜を明かしたという。何とも言いようがない。友人Bは、建物外部が一部損壊、瓦も落ち、家の中は私の所と同様とのことであった。
そんな折、早速に、自分達の所もかなり揺れて、相当の被害をこうむったであろう骨董屋さんから見舞いや励ましの電話をいただき、心温まる思いがした。
気を取り直して、少しずつ片付けをし始めたが、自分で気に入っていたものが完全に壊れたり、一部破損しているのを見るにつけ、ふっと力が抜けるような気もしたが、すべては終わったことで致し方もない。そうするうちに第四日曜の27日になったその朝、友人Aから電話が入った。「いつもの骨董市に行くのに迎えを待っているけど、今日は遅いですね」とのこと。カラ元気の冗談とはいいながらお互い大笑いをしてしまった。
そうこうしているうちに、「集」の購読確認のハガキが送られてきたので返送したところ、送られてきた4月発売号は被災地については無料贈呈とのことで、その味なはからいに心が和んだが、4月11日と12日に、またもや連続してドスン、ドスンときた。共に震度6弱。それまで八割ぐらい片付いていた家の中は元の木阿弥、前以上のひどい有様になってしまった。それでも片付けないことにはどうしようもないが、まだ最大の余震の心配をぬぐえない。不安は残るが、まあ、前向きに考えよう。
さて、これからどうするかである。沢山の方々が被災されて苦しんでおられる中、骨董市通いなどと指弾されそうな気もするが、前々から私は、それこそ、雨にも負けず、風にも負けず、夏の暑さにも冬の寒さにも負けることもなく、未明から店を開いて頑張っている露天の皆さんの底知れぬエネルギーには感心していた。また、骨董市には、なんともいいようのない混沌とした中に、不思議な活力と魅力がある。すでに各地で市が立っているとのことなので、出かけられるようなら出かけていって、そのパワーに触れ、この毎日毎日の重苦しい気分から抜け出したい。
これから先のことは、何が起きるか全く予測もつかないが、地震と津波は自然災害としてやむを得ないと思いもするが、それでも間断なく続く余震には心が休まらず、やはり正直なところ参っている。
ともあれ、良きにつけ、悪しきにつけ否応なく世の中は回っていく。原発からほど近いこのいわきの地に住む者としては、東電や国の対応に物申したいことは山ほどあるが、それはここではさて置いて、日々の閉塞感の中でのつれづれなる思いを書きつづってみた。
今日は4月の16日、この先は、鬼が出るか蛇が出るか…。 |