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編 集 だ よ り
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2004年の集日記 |
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仏像は下からみるものだそうだ。
やや上から写真を撮ろうとしたときに
下からのアングルでとるものだ、
と骨董屋さんに教えてもらった。
尊いものなので、
上に置かれるから
下から見たアングルを考えて作るらしい。
そういえば先日
仏壇をワインセラーとして
海外で売っていたという話をインターネットで読んだ。
ちょっとすごい話だ。
私は迷信深いほうではなく、
幽霊もあの世も信じていない。
しかし仏壇に入っているワインを
なんのためらいもなく飲めるか、
と問われれば、その答えは
「ノー」だ。
何も知らない外国人に仏壇を売りつけるなんて
罪な人だ。
バチがあたりそうだ。
現代人の私でもこう考える。
昔の人の宗教に対する思いは
相当なものだったろう。
美術は宗教から始まった。
初期の壮大な絵画や彫刻を見ると、
宗教を題材にしたものなのがわかる。
国が宗教を政治に利用していたことも関係している。
壮大な良い作品ももちろんあるが、
政治や金もうけ等
不純なことに宗教を利用しようとした瞬間から
宗教はうさんくさくなってしまうのだろう。
でも食べるために絵を書く人が不純かと言ったら、
一概にはそうは言えない。
難しいなぁ。
「信じる者は救われる」「念仏を唱えるだけで、成仏出来る」
というような教えが
救いのない人たちを
どれだけ、癒されたであろう。
そういう神々しい思いや純粋な魂みたいなものを
表現したいところから、芸術は生まれたのかもしれない。
次回は、贋物士について。
「最近の若い者は、なっとらん
俺達が若いころは・・・」
よく言われる言葉だ。
しかしこの言葉は、
古代(メソポタミアとかローマとかそういう感じの時代)から言われていた。
つまりいつの時代も
若い者とは、なっとらん存在であり、
そう思っている年配の人たちも
かつてはそうだったのだということだ。
実際、私も言われる。
服装、仕事っぷり、考え方、遊び方等々。
私は目上の人間にやたらに反抗するタイプの人間ではない。
むしろよく耳をかたむけ
吸収しようと心掛ける節すらある。
だからと言って
上司や先輩達から
好かれるタイプではないと思う(部下や後輩からも
好かれるタイプでもないと思う)。
あまり感情に起伏がないタイプなのか、
日々、ボーっとしているような感じだ。
いや、むしろ本当にボーっとしている。
褒められても、怒られてもボーっとしてるときもある。
会議中に人の話が頭に入らなくなるとこもしばしばだ。
集中力がとにかくないのだ。
集中しないで、拡散している感じだ。
次世代に何かを託す場合、
託す相手をなるべく理解したい、と思うのは当然だ。
それがかわなない相手には
やはり好感は持たないのが普通だと思う。
いつの時代も世代交代が行われている。
世代が変わるときに、
生じる摩擦。
そのときの感情が
「最近の若者はなっとらん」
と言わせるのかもしれない。
もちろん私も
現在の高校生や大学生に対して
「最近のガキ達? 別に興味ねぇな」
と言いつつも
「でも、俺があの頃はさぉ・・・」
と後から言ってしまう。
私もつくづく凡人だと思う。
明日は宗教と美術について。
「幕末の事件をみてみると、古新聞を読んでいるようで
これは小説にはならないなと思った」
細かいニュアンスは忘れたが、
そんなようななことを司馬遼太郎は言っていた。
にもかかわらず、
司馬遼太郎の代表作は幕末モノの
『竜馬がゆく』であり、
私は、司馬遼太郎の幕末モノよりも面白い幕末モノの小説は
今のところ読んだころがない(浅田次郎の『壬生義士伝』はかなりいけるらしいのでいずれ読みたい)。
小説にならない、といってたくせに
とても面白い。
残念ながら、どういうわけで司馬遼太郎が幕末を書こう、
と思ったか覚えていない。
誰か教えてくれないだろうか?
前回は幕末三舟のひとり
勝海舟について少し書いた。
司馬慮太郎も海舟がとても好きだったようで、
幕末が舞台の小説では、たびたび登場させている。
ところで、海舟の着物姿の
肖像写真があるのだが、
キリっとしていて男前だ。
しかし
その海舟はちょっと
羽賀賢二に似ている。
友人に言ってもあまり
同意を得られないが、いつもそう思うのだ。
幕末の有名人達の顔は面白い。
桂小五郎や土方歳三なんかは
現代的に男前だ。
実際、桂小五郎は
幕末でも一、二を争うほどのモテモテ男だったという。
もうひとりは、坂本竜馬だ。
私は竜馬が好きで
あまりにも好きだったので、
五、六年間、彼の肖像写真のポスターを部屋に貼っていた経験がある。
気持ち悪い、
とそのセンスを
理解されなかったことは一度や二度ではない。
アメリカ人の友人に
「お前のジイサンか?」
と聞かれたこともあった。
もちろん「そうだ」と答えた。
そのくらい好きだったのだ。
しかしどうひいき目に見ても
ブサイクな顔だ。
にもかかわらず
モテまくっていたとは。
さすが竜馬だ。
私の中の「男の中の男ランキング」
永遠の1位は
小説『一無庵風流記』の主人公・前田慶次郎だが、
竜馬には何か別部門での1位を
あげたいと思っている。
明日は、「はたして骨董で1番高いのはいくらか?」です
■2004/4/27(火) 世界一高額の骨董は何か?
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昨日、そう予告した。
結論から言うと、
ちょっとわからなかった。
自分のリサーチ力の無さを実感した。
ただ骨董ってかなり高い、
ということがわかった。
すでに知っていたが、改めて思った。
例えば『骨董ハンター南方見聞録』(島津法樹 著)によると
祈祷師の薬入れになっていた葉茶壺が、室町末には一城の価値だとか
ウイスキー2本と交換した染付大皿が3億円
という話が出てくる。
正直言うと
この本は読んだことないので、
実話なのかフィクションなのかも調べていないが、
少なくてもそのくらいの相場のモノがある、ということだ。
一城の価値ってすごいな、しかし。
江戸時代、甲冑を一式揃えると、
家一軒分といわれていたのだから、
城の価格の高さは相当なものだ。
それに値する茶壺とは恐れ入ったものだ。
どんな壷かは知らないが、
たかが壷でそんな価値ってあるのか?
と思わざる得ない。
どの本で読んだか忘れたが、
豊臣秀吉が、功を上げた武士達への
報酬として、外国の焼物なんかを土地の変わりに
与えていたという話があったと思う。
日本の土地は限りがあるし、
その焼物は日本ではすごく珍しいが、
外国ではどこにでもあるような壷だ。
そういう壷が
城の価値くらいになったとかなんとか
書いてあった気がする。
間違っていたらすんません。
今回は調べきれなかったり
曖昧だったりと、敗北感が強い。
これからは、
高額なモノや、こんなモノが、
というような骨董を見つけたら、
随時お知らせする、ということで今回は勘弁してもらいたい。
明日は・・・と予告しづらくなる。
明日は世代の違いについてです。
骨董の世界で
幕末というと
「幕末三舟」を連想する人が多いと思う。
「幕末三舟」とは
勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の三人のことをいう。
一般的には、勝海舟が一番有名で人気があると思う。
私も勝海舟が好きだ。
小説や映画に出てくる海舟は
江戸っ子って感じがして
とても好感が持てる。
海舟は軍艦奉行だったが、船酔いする体質だったとか、
幕臣にも関わらず幕府の体質を大いに批判したという。
粋である。
骨董の本を作るようになって、
掛軸もみる機会があるが、
この海舟の掛軸もしばしば目にする。
これには驚いた。
あの海舟の直筆のものを見る機会があるなんて
思っても見なかったし、
しかも意外と安い。
歴史に名高い
勝海舟の直筆のもが
十数万円で買えるのだ。
「やしぃ」
そう思わざる得ない。
「でも待てよ」
とも思う。
例え安いと思っても
十数万円だ。
十数万円で買えるものを想像すると
相当高い。
私の時代遅れのノート型パソコンよりも
当然高い。
考えてみると、骨董って高い。
私が編集している本では
骨董品が飛ぶように売れている。
不景気の中で、すごい現象だ。
ふと思う。
日本の不景気って一体・・・・・・。
次回も幕末ついて。というか三舟についてだろう。
昨日は織田信長の虐殺について書いたが、
今日はそのオマケ。
中国に曹操という男がすごい虐殺をしている。
言わずと知れた『三国志』の曹操だ。
193年、
天下制覇の中途で徐州の牧陶謙に父親を殺された曹操は、
徐州大虐殺を引き起こす。
この時、徐州には鶏や犬でさえ殺して
死体のため河が堰き止められたというほどの惨状であった。
その数、
数十万人と言われている。
私が住んでいる群馬県高崎市の人口が
約25万人だ。
曹操は
小さくもなく大きくもない普通の市だが
この市民がすべて殺されるくらいか
それ以上の人間を殺したのだ。
一度の虐殺でこれほどの数はすごい。
広島に投下された原爆以上だ。
曹操は『三国志』では悪役として描かれているが、
そのほとんどは作り話である。
ただし曹操の人気が下がったのは徐州の虐殺が大きな原因となっていると思われ、
曹操に責任がまったく無いとは言えない。
曹操は中国文学史上
最重要人物のひとりといわれるほどの
教養もあった。
とにかく多才で
採用基準も
家柄や人柄よりも
『才能』を重視した。
儒教が浸透しきっている
当時、曹操の考え方は
合理的すぎ、家臣からも反対の声があったほどだ。
私は
曹操のことを考えるとき、信長を思い、
あるいは信長を思うとき、曹操のことを考える。
今甲冑について
いろいろ調べているのだが、
戦国時代についての文献も読む。
織田信長はすごい。
信長については
いろいろな文献が出ているから、
彼の経歴や歴史的役割はここでは、はしょる。
信長の何がすごいって
とにかく殺すのだ。
比叡山・延暦寺への侵攻で
そこにいた僧侶を3千人殺す。
さらに一向一揆に対しては
10万人以上の門徒を殺した、といわれている。
ちなみに原爆の被害者は
現在も正確にはつかめてないらしいが、
放射線による急性障害が一応おさまった昭和20年(1945年)12月末までに、
約14万人が死亡したと推計されているらしい。
この一点だけ考えても
信長と同時期の日本に生まれなくて良かったと思う。
敵でも嫌だし、
もし信長のもとで働いても
私のようなすっとろい人間は、
あっという間に
怒らせてしまい
打ち首になってしまいそうだ。
しかしそんな信長も
武田信玄と上杉謙信は
恐れていたようで、
へつらうような外交策をとっていたという。
司馬遼太郎いわく
この二人は、世界史上でも
五本の指に入るほどの戦上手らしい(他の三人は誰かは書いてなかった)
「おい、最近お主生意気だぞ。
天下狙ってんのか?」
とか謙信に言われて
「いやぁ、そんなことないっすよ。
第一謙信さんが天下取るんじゃないんですか?
あ、そうだ。
この前いい鎧買ったんっすよ。
謙信さんなら、似合うだろうなぁ。
良かったら、もらって下さい」
かなり言葉使いは違うだろうが、
まあこんな感じだったらしい。
もちろん、謙信、信玄の寿命など考えて
そう長くはない、と判断し
彼らが死んだあと、
やりたい放題を予定していたのだろうが、
ちょっとイメージが違う。
信長も人の子なのだ。
信長については
いくら書いても書ききれない位だ。
キリがない。
信長に関してはまたの機会で。
次回は、虐殺のオマケについてです
私は小さいものが好きだ。
骨董を集めるとしたら、
根付だと思う。
あの小ささがいい。
財布やケータイ電話、キーホルダーにもつけてもいいし、
ケースに入れて飾るのも良し、
手に取って眺めるのも良し。
私は子供の頃
チョロQという
ゼンマイ仕掛のミニカーを
集めていた。
キン肉マンというマンガの
「キン消し」と呼ばれる人形も集めていた。
ガンダムというアニメの
「ガン消し」と呼ばれる人形も集めていた。
プレゼントの箱ですら小さいほうが好きだ。
しかし小さくても
「ビックリマンシール」という
お菓子のオマケはあまり集める気にはなれなかった。
ミニチュアに弱いのだ。
細かい細工に優れていた当時の日本人の
気持ちがなんとなくわかる。
そして現在も日本人は、
半導体などの技術で世界中に評価されている。
根付も版画とならんで
世界に誇る日本の芸術なのだ。
小さいものが好きな自分に
日本人の遺伝子を感じる。
逆に
「俺は何でもデッカイことが好きなんだ。
チマチマ細かいのは苦手でなあ」
なんて言われると、
「ああ、こいつと俺は違うな」
とはっきりと感じる。
しかもこういう人達は声までデカかったりする。
しかし私もデカイものが好きなものがある。
食べ物だ。
例えば、
小洒落たレストランで出てくる
小さいピザが嫌いだ。
「一口じゃねえか」
とか言いながら食うのだ。
まずければ、それですむのだが
うまいからハラがたつ。
「このピザ『大』はないですか?」
と聞くと
「これがラージサイズでございます」
と言い返されるので
最近は沢山量のあるであろうパスタを注文する。
「俺はいつからスパゲティーのことを「パスタ」というようになったんだ?」
と思いながら
「じゃ、和風パスタで」
と頼む自分。
最近は
そのことが抵抗なくなってきている。
まぁ別にいいが。
次回は、虐殺について書きます。
私は以前にも書いたが
鑑賞用の骨董はあまり好きではない。
「やる」と言われればもらうが、
「買え」と言われても買わないと思う。
しかしそういう私でも
好き嫌いは別にして
鍋島焼は気になる存在だ。
というか
非常に高度な技術で作られているこの焼物は
ちょっと日本っぽくない気がする。
日本の焼物は
なんとなく不完全というか
ちょっと形が崩れたり、欠けたりしているのが
味がある、とか言われることがある。
例えば
備前の壷で
釉薬がドロっとかかっているものが
「いいケシキになってますね」
とか言われる。
実に通っぽくて
一度は言ってみたいセリフだ。
私ははじめ
「なんだ、ありゃ。もっとまんべんなく、綺麗に塗れないのか」
程度の認識だった。
しかし今では
ピシっときれいなものはつまらない、
という境地には達してないが、
まあ、そういう気持ちはわかる気がする。
中国人や西洋人なら
カンペキな綺麗なものをつくるだろうし、
そのほうが、好まれると思う。
このアジアのはしっこにある島国に住む人間の
美的感覚は面白い。
だから
そういう中の
いかにもカンペキを目指した
鍋島焼はちょっと日本っぽくないと思うのだ。
次は物の大小について思うことを書きます。
私にとって
鍋島といったら、
「葉隠」である。
「葉隠」とは
いまから約300年ほど前に書かれた
鍋島武士の日頃の心がけを書いた本だ。
葉隠論語または鍋島論語ともいう。
「武士道というは、死ぬことと見つけたり」
「恋の極致は忍ぶ恋である」
などの言葉は、葉隠からの引用だ。
忍ぶ恋ってのは意外だった。
武士のクセに愛や恋を語るとは。
まあ忍んでいるから、
語っているわけではないようだが。
私は隆慶一郎の
『死ぬことと見つけたり』
という小説を読んで
「佐賀鍋島藩といったら、葉隠だな」
と思うようになった。
この小説はすごい。
というか隆慶一郎の小説はどれもすごい。
特に主人公がすごすぎて、
もう人間じゃないくらいだ。
少しだけ言うと、
例えば『死ぬことと見つけたり』 の主人公の武士は
毎朝死ぬ。
『捨て子童子 松平忠輝』
の主人公は家康の息子が主人公なのだが
この忠輝がたまらない。
まず家康に捨てられている。
そして忍者より俊敏で剣豪より腕がたつ。
私の文章能力では
そのすごさを伝えられないのがもどかしい。
とにかく魅力的な小説なのだ。
興味のある人は是非読んでみて下さい。
鍋島に話しを戻そう。
私にとって鍋島とは「葉隠」だが
骨董の業界では
鍋島といえば
「鍋島焼」なのだ。
「鍋島焼」とは
佐賀の藩主・鍋島候が、
将軍家の献上品や他藩候への贈答用に
特別の費用をかけ精選した磁器だ。
「葉隠」こそあるが
私は鍋島に対して地味な印象を持っていたが、
骨董業界では、鍋島はエース級だ。
質の良い鍋島焼なんて
何百万円もするのだ。
大河ドラマや映画の主人公にはなりそうもない
鍋島氏の面々だが
現代に立派な遺産を残しているではないか。
ちょっぴり感動だ。
だれか鍋島氏の誰かを
主人公に本や映画にしたらどうだろうか。
焼物には様々なドラマがある。
江戸時代番「プロジェクトX」みたいな感じでしたら
結構面白いと思う。
次回は、鍋島についてしようか悩み中です。
先週から具足を着た話しを書いている。
具足を実際着てみて思ったのが、
「よくこんなものを着て戦っていたな」
ということだ。
思ったよりも重くないが、
時間がたつと徐々に辛くなってくる。
適当に着ただけなので、
すぐにグズグズに着崩れしてしまう。
そういう状態での戦闘って
とても大変だと思う。
ボクシングだって
素っ裸なのに、1ラウンドがたったの3分だ。
さすが戦国時代の武将は
一日五合の飯を食っていただけあって
馬力がある。
当時の日本人は
すごくワイルドな
人種だったんだろう。
戦場には力自慢の
男達がゴロゴロいたはずだ。
例えば、有名な武将なんかは
今でいうボブ・サップとか清原とか、
そういう男達だったのだろう。
合戦では
そいつらと殺し合いをしなければならないのだ。
私はとてもじゃないが、
ボブ・サップとやり合う自身はない。
ピザーラのCMで
陽気に歌い踊る彼を観ても
「だまされるな、こいつは野獣なんだ。
合戦であったらやられてしまうぞ」
といつもフクザツな気分だ。
次回は鍋島についてです。
鍋島のことを書こうと思っていたのだが、
予定を変更して、鎧の事を書く。
先日、具足を着た。
具足とは甲冑の一種である。
合戦で戦国時代の武士達が着ていたようなやつだ。
具足は中世の大鎧と違い
軽くて動きやすいということが
本で書いてあった。
「実際に着れば勉強になる」
ウチの社長のアイディアだった。
この人は、よくそういうことを言い出すのだ。
ということで
「マジかよ、鎧なんて着るのはずかしいぞ」
と思いつつも
着ることになった。
重いー。
ガチャガチャしているから
重く感じる。
兜もかぶってみると大きく感じるし、
実に不安定だ。
さらに大きめの具足を
選んだのだが、
身長175cmの私には
小さかった。
「ああ、本当に当時の人は小さかったんだな」
当時人間のサイズは小さかったことを
私は身をもって体験したのだ。
特に籠手が小さく
サイズがまったくあっていない。
しかし、
私は痩せているが、
籠手はちっともブカブカでは
なかったのが意外だった。
つまり昔の人間は
頭でっかちのやせッぽっちだったことになる。
ウチの社長は骨董屋でもあり
そこにある具足を着用させてもらったのだが、
店にお客がいるので、
かなりの注目を浴び恥ずかしい思いをした。
ボーっと突っ立ていると
それを見た社長は
「サイコーだな、おい?」
とか言って御機嫌だった。
余談だが、
この社長が「サイコーだな」
というときは
「最低」な場合が多い。
以前社長が
飼っていた犬と散歩に行ったとき
何を思ったか、
その犬は走ってくる電車に自ら突っ込んで
牙を折ったことがある。
そのときの話を
我々社員にしてくれたときも
「サイコーだよ」
と言っていた。
突っ込んだ犬の根性が「サイコー」なのか
そのことが面白くて「サイコー」なのか
もっと別のことなのか
私にはわからなかったが、
そういう人なのだ。
話題を戻す。
実際着てみて
機動力のあるという具足は
意外と動きずらいということがわかった。
次回も具足を着るの巻です。
普段使い出来るのが好きだ。
私はバアサンの形見の瀬戸焼の印判の鉢に
植物を入れたり、
安い香炉でお香をたいたり
自分で作った不格好な徳利と猪口で酒を飲んだりする。
あまり鑑賞用は好きではない。
安い印判でカレーライスを食べたりするほうがいい。
高いものが、割れたりしたら大変だ、
とびくびくしたくないのだ。
なのでその脅えをかくすために、
「モノは使ってこそ・・・」
とか主張している。
「これはナントカ時代のナニナニという手法で作られ、
まだナントカの技法が確立されていないときのもので
何処何処から持ってきたものです」
「なるほど。それじゃナントカ時代のこれはとても貴重なものなんですね」
と言う返事はするが、
実際はチンプンカンプンだ。
相手に「あ、こいつわかってねえな」
と思われることもしばしばだ。
私の小さな見栄が
なんとか、恥をかくまいとして、
話題なんか変えてみたりすることもある。
「あ、あそこにある古九谷小ぶりだけど、すごくいいですね」
と言ったりして、少しばかり得た知識を
ここぞとばかりに話すのだ。
「俺ってちっぽけな人間だ。
知らないものは知らないでいいじゃないか。
このよく知ってるヒトに、教えてもらえよ、俺っ」
と思いつつも
「いやぁ、今日は勉強なりましたよ」
なんて言って、ひとつも勉強してないくせに、その場を去ってしまう。
そういうこともあり
理屈のいらないものが好きだ。
次回は鍋島藩に関して書きます。
戦国武将の話しをするのは楽しい。
酒を飲みがなら
友人と好きな武将の話しをするのは
いい肴になる。
最近気になるのは、
塙団右衛門(ばんだんえもん)だ。
団右衛門は、
加藤嘉明(かとうよしあきら)という大名の家来だった。
嘉明は
「豪傑はいらない。合戦で役に立つのは、持場を守る小心な人間だ」
というようなことを常々言っていた。
団右衛門は
嘉明のそういう考え方に我慢が出来ず、
自ら牢人となった。
「これでも俺は一人前のカモメだ、どこへでも高くとぶさ」
という意味の自作の詩を嘉明の城門に貼り付け、
やめていった。
私は
こういうタイプの武士や人間に弱い。
団右衛門のことは何も知らなかったが、
この話し本で読んで、
一発で好きになった。
見限られた主人は
面目がつぶれるわけだから、
たまったものじゃないだろうが
そこがまたいい。
実際身近にいたら、
結構迷惑な存在だろうな。
次回は焼物について書こうと思います。
■2004/4/13(火) もしも私が江戸時代の幕臣ならば・・・
|
幕末の小説をたまに読む。
長州や薩摩などの志士が活躍するのだ。
高杉晋作や坂本龍馬達は、
先見の目もあり、行動力もあり
なかなかカッコイイ。
あこがれる、といっていい。
反対に、小説の中の幕府の高官達は
泰平の世になれきって、世の中を改善しようとせず
すごくだらしない。
最低だ、といっていい。
しかし自分がその立場にいたらどうだったろう?
明治維新が1868年。
江戸時代が終わって、136年たつ。
一方、応仁の乱がはじまったのは、1467年で、
徳川家康が江戸幕府を開いたのが、1603年。
戦国時代の終焉の戦といわれる大坂夏の陣が1615年。
戦国時代は、148年続いていたことになる。
江戸時代が終わってから現代よりも
さらに長い年月、
日本人は、戦に明け暮れていたのだ。
領土の獲りあいをしている武士達はまだいいが、
民達はたまったものではない。
いいかげん戦はやめてくれ、
と思ったに違いない。
家康が天下を統一できたのも、
そんな民の気分によるところが多いと思う。
江戸幕府がまた長い。
250年以上だ。
現代の私達が武士の心を忘れるよりも、
さらに江戸時代の人たちは
戦国時代の心意気を忘れていたかもしれない。
私が平和な江戸時代に生まれていたら、
確実に戦国時代のことなどは
興味がないと思う。
戰や武芸よりも
酒を飲み、宴で騒ぎ、ときどき本でも読んだほうが
性にあっているのだ。
なので、
平和ボケした江戸時代の大名を
小説や時代劇でみるとき、
「こいつら最低だ。ブタヤロウ」
と思いながら、
「俺も一緒かも」
と思うことがある。
次回はちょっとさかのぼり戦国時代の話しを。
以前も書いたが、私は骨董の本の編集をしている。
だからよく骨董屋さんとは
話しをする。
この前も
ある骨董屋さんに良くしてもらい
お礼を言いたくて
電話をした。
「助かりましたよ、ありがとうございました」
私は出来るだけ愛想良くお礼を言った。
するとその骨董屋さんにぶっきらぼうに言われてしまった。
「別にあんたのためにしたんじゃない」
こんな映画のようなセリフを
まさか自分が言われるとは。
「いやぁ〜」
とか言ってその場は切り抜けたはずだが、
あまり覚えていないが
出来るだけ愛想良く振る舞った自分が
小物クサくて恥ずかしかったのは覚えている。
というわけで、
最近、私の骨董屋さんのイメージは
ハードボイルドだ。
なかなかかっこいいイメージではないか。
惜しまれるのは、
この骨董屋さんのちょっと高かったことだ。
宮崎駿監督の『紅の豚』の
主人公のブタのようなしゃがれた声だったら
もっとハードボイルドだったのに。
次回は江戸時代のことを書く予定です。
骨董のことを書きたくて、この日記をはじめたのだが、
ほとんどふれていない。
よく友達に
「骨董の本の編集しているのだから、
かなりわかるようになったんじゃない?」
なんて言われることがある。
はっきり言うと
私は骨董をあまりわかっていない。
骨董に興味のないヒトよりはわかる。
あるいは、知識としてはわかる。
しかし、品物を手に取り肌で感じ、
この品物はこれほどのものだ、と言いきる自身がない。
ジャンルが多いし、真贋の問題もある。
そして価格がまたわからない。
この仕事を始めたばかりの頃、ちょっと仲良くなった骨董屋さんに
ある茶碗の値段を聞いたことがある。
ふんわりとした白色のぐい呑みだ。
志野焼というものらしい。
「これいくらっすかね?」
おそるおそる聞くと、店主は指一本を立てた。
「やっぱね、俺が目をつけたものは、やっぱその位するよな」
と思いつつ
「すげぇっすね、100万ですか」
といったら、
「1万」
という答えがかえってきた。
マジかよ、と思った。
まったく値段の感覚がわからない。
私が骨董のことはわからない、と知り
店主はテンションがすごく下がった様子だった。
他の売り物で、
1万円のものを100万円に間違うことがあるだろうか。
間違っても、1万円の携帯電話は100万円だとは思わないはずだ。
骨董の相場を頭に入れ、
真贋を見分けながら商売している
骨董屋さんってすごい。
次回は、私の骨董屋さんのイメージについて。
昨晩、インドカレーを食った。
すごくうまかった。
ふと思う。
「戦国時代の人間達に食べさせたら、あまりのうまさに腰ぬかすかもな」
インドカレーならそれ以上の感動を与えられるはずだ。
当時の人たちの食生活は、煮魚やつけものみそ汁などの、
現代で言えばシンプルなものだったろう。
昔なにかの本で、読んだのだが、
戦国時代の武士達が一日で食べていた「米」の量だが、
何と「五合」くらいの米を一日一人で食べていたらしい。
おかずがシンプルだからって
米五合は、食い過ぎだろ。
かつて私も大食いで、
一食で、米三合を食べていたことがあり、仲間の間からは
「群馬の大食いチャンピオン」と名を馳せていたこともあった。
しかし一食に三合も食べれば、
もう一日何もいらない状態になる。
戦国時代は、現代のチャンピオンクラス(大食いの)が
うようよしていた時代なのだ。
そして酒もしこたま飲んでいたらしい。
酒量はわすれたが、こっちのほうが、米の量よりたまげた記憶がある。
調べてまた書きたいと思う。
骨董の話がなかなか出てこないだが、
次回こそは、骨董について話す予定だ。
私は、骨董の『集』の編集をしている。
日々、骨董と仕事に対して思うことを書きたいな、と思いこの日記を始めた。
ガサツな文章を、とりとめもなく書きたいと思うのだが、
本の性質上、個人的なことは書けないので、制限されてしまう(制限された中でのモノ書きも楽しい)。
骨董と言っても、様々だ。
伊万里焼や織部焼のような焼物から、鎧兜、鉄砲といった武具、時計やランプといったアンティーク、ぶりきのおもちゃetc.
ジャンルだけでも、かなりの量だ。
とてもここにすべて書く気になれない。
今は、甲冑について編集をしている。
甲冑について調べていると、戦国時代の事情なんかも勉強できる。
面白かったのは、織田信長が鉄砲を使って、武田軍を撃退するのだが、
その際、織田軍は、一斉射撃という戦法を用いた。
西洋での一斉射撃の記録は、
300年後の1899年のポーア戦争になる。
信長がいかに優れた軍事的才能を持っていたかを物語っている。
「さすが信長だねぇ」と関心しながらの編集作業はとても楽しい。
資料を読んでいるときが、一番楽しい。
そして楽しいと思ったことを書いてみると、
「この部分は、余分だ。読者は求めてない」
と上司や同僚に言われる事がある。
「これが面白いんだよ、わかってねぇな」
と思いながら、
「そうですよね」
などと簡単に屈してしまう。
そんな日々です。
次回も戦国時代のことを書く予定です。
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