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1月21日午前5時起床。いつもは寝ている時間に、眠い目を擦りながら起きる。6時にホテルのロビーに集合なので仕方が無い。なんとか5分前にロビーに到着し、みんなが来たところで、いざ出発。外はとても寒く急いで車に乗り込み、まだ暗い京都の町を走り出した。少し小雨が降っており、こんな寒い中での蚤の市、いくら東寺といえどもそんなには集まらないだろうと思っていたら、今度は雪が降ってきた。いよいよもって、集まらないと勝手に思っていた。
東寺に到着し、車から降りる。息が白く、やっぱり寒い。薄暗くなった空を見ながら蚤の市のところまで歩いていくと、私の予想を越えて沢山の店が並んでいた。すっかり店の仕度が整っている店や、一生懸命に並べている店など様々だ。通りを歩きながら「蛍族」がいる事を教えてもらう。私の知っている「蛍族」といえば、マンションの一室のベランダで煙草を吸っている喫煙家の事だ。よくよく聞いてみると、蚤の市で言う「蛍族」とは、朝日の昇らないまだ暗いうちから懐中電灯を片手に骨董品を吟味している人達の事だ。所変わればなんとやらと言うが、一つ勉強になった。 しかし、ここで疑問に思う。何故こんなに早く来なければならないのか? 骨董好きというものは誰よりも早くきて良い物を手に入れたくて、こんなに暗くて寒い朝でも出掛けてくるらしい。その時に欠かせないのが懐中電灯という訳だ。これなら、自分の手元に持ってきて十分に吟味出来る。
遠くで見ると、さながら蛍のように見えるので蛍族と言われるのも頷ける。店は店で、暗い方が少々の傷も気付かずに買っていてもらえるので店を出す。お客が後で傷に気付いても、後の祭り。それも蚤の市の醍醐味。店とお客の真剣勝負。
「さて、次の時は見逃さないぞ」という意気込みでまた蚤の市に出掛けて行き、骨董の魅力に取り付かれていく。何ともいえない世界である。
しかし、近年その蛍族も減ってきている。この不景気でだんだん蚤の市にもお客が減ってきているらしい。そういえば、夏の風物詩の蛍も減ってきている。各市町村では、蛍を川に呼び戻そうと言う運動を、起こしている。景気の川の流れも良くして、蚤の市の蛍族も、夏の蛍も、溢れるほどに増えて欲しい。骨董業界にもっと活気が出て欲しいと思う。
そんな事を考えながら歩いていると、なにやら香ばしい香りがしてきた。そういえば、早起きをしたので、何も食べていない事に気付く。骨董も気になるが、やはり花(骨董)より団子の自分に呆れてしまった。よく見てみると、地元では見たことの無い屋台が出ていた。魚の丸干しを焼いたものや、漬物、ちりめんじゃこ、あるいは靴下だの、生活用品だ。地元の生活に密着した蚤の市、何とも楽しい所だ。
キョロキョロしながら歩いていると、いきなり目の前に五重塔が現れた。そうだ、ここは京都の東寺。こんなに身近な所で歴史を感じられる京都の人を羨ましく思いながら、、五重塔に見入ってしまった。昔から、こうして蚤の市を開き、五重塔はそれを見守ってきたのかなぁと勝手に想像していた。
知り合いの骨董屋さんを見付けしばし談笑し、蚤の市を後にした。気が付けば、雪はやんでいた。あんなに寒かったのに、真剣に店を見ていたらその事を忘れてしまっていた。蚤の市の魅力とはこういう事かと、一人感心していたが、ただ一つの心残りはあの香ばしい香りの団子であった。(サトウ)
先日私はある蚤の市へ勉強に行ってきました。業者さんの気持ちを少しでも理解出来れば、と朝四時に現場へ到着しましたが、まだ辺りは薄暗く霧がかっており人通りは全くありませんでした。
そんな中、出店している業者さんは準備をしていました。その様は各店それぞれで、準備万端なお店もあれば、商品の値段を付け忘れていて今から付けているお店もあります。年齢層も20代半位のお姉さんから、70〜80歳位の仙人みたいにヒゲを生やしたおじいさんまで、いろいろ個性のある業者さんがいるもんだな、と改めて感じさせられました。
九時位になると、段々お客さんの姿が増えてきました。お客さんもいろんな人がやってきます。着物・古布を売っているお店には、おばちゃんが2〜3人で着物を広げていました。武具関係のお店は、頑固そうなおじさんが腕を組みながら、15分くらいずっと鐔を眺めており、またべつのお店では、若いカップルが、楽しそうに二人でガラスコップを買っていました。
準備で静かだった蚤の市も、お客のおかげで、賑わいが出てきて、なんだか昔行ったお祭りの屋台通りみたいな感じがしました。
私も懐中時計が好きなので、時計が置いてあるお店で、時間を忘れ懐中時計に夢中になってしまいました。勉強で来たつもりだったのですが、なんだか自分が子供に戻ったような気持ちにさせられてしまい、むしろ遊びに来た感じになってしまいました。残念なことに懐がさみしかったので、懐中時計を買えませんでした。次必ず懐中時計を買いたいと思います。
みなさんも、時間があれば、近くの蚤の市でも行ってみたら、普段とはまた違った面白い体験をすることが出来ると思います。是非行ってみて下さい。(セイジン)
骨董屋はエライ。エコロジストである。地球にやさしいのだ。工場で骨董を作るわけではないので、産業廃棄物のようなものはでない。せいぜい移動に使う車の排気ガスくらいなものか。
基本的に骨董屋は古い物を大事にしている。我々の世代は、使い捨てが当たり前になり、アメリカ式の大量消費社会にどっぷり浸かっている。
古くても考えようによっては、或いは使いようによっては、新しいものより素晴らしいものが、世の中にはいくらでもあるということを証明している職業である。
骨董は古いので、歴史的価値があり学問の研究の対称となりえる。初期伊万里を一枚例に挙げてみても、その製造方法から当時の時代背景を読み取ることも出来る。そういった研究から先人の英知を学ぶことが出来る。
しかし骨董は、当然数が少ない。そして日々壊れたり破れたり腐ったりして、数が減ってゆくのである。あまり増えることはない。現在作られている焼物等が、時がたてば骨董となってゆくのであろうが、それには歳月がかかる。自然保護は行っているが、年々深刻になってゆく砂漠化してゆく地球に似ているかもしれない。人類の財産を、骨董屋は守っているのである。
個人的にみれば、骨董屋・骨董ファンの間には、金銭欲・所有欲等様々な思いがうずまいているかもしれない。人類の財産等という意識はないかもしれないが、それゆえ、人類の財産を守っているという奢りがないこともまた好ましいところだ。収集僻があり、またわけの判らないものを買ったと妻に叱られている骨董マニアの方々の微笑ましさよ。
例えば須恵器を眺めてみる。奈良時代に作られ、今まで割れることなく、今自分の前にあることに驚く。あんなに壊れやすそうな物が、千数百年壊れることなく現在にあるという事実に感動する。ほとんど奇跡である。しかも安ければ10万円弱で、その奇跡を購入まで出来る。そういった感動を与えてくれる骨董屋は素晴らしい。(イトイ)
■2003/11/25 昭島骨董アンティークフェア
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11月15日に、昭島骨董アンティークフェアに行って来ました。初めて訪れるこの催事は、出店するのに順番待ちという評判を、以前から聞いていたので、すごく楽しみにしていました。そのせいか、開場時間の約1時間も前に到着してしまった程です。
この季節になると、午前9時は寒いです。出展者の駐車場で、箪笥を車から下ろしている業者さんが見えました。寒空の中、朝から本当にご苦労様です。前日に売れたから追加したのかもしれません。はやくもこの催事の活気が伝わってくるようでした。
入り口で列に並んでいると、古いシトロエンや、ハンチング帽をかぶりレトロな自転車を転がしながら、会話をしている二人組など、個性的な人達も多いです。 開場時間直前になると、並んでいた列は長蛇となり、始めのほうに並んでいた私達には、最後尾が見えないほどでした。この寒い中、それほど多くの人が、このフェアのために、列に並んでいることに、少なからず驚きました。
会場の中へ入ると、広々とした会場があっという間に、お客でうまったという印象でした。他のお客さんとぶつかってしまったり、品物を壊さないように、気をつけるのに、少し疲れてしまう程です。
『集』のなじみの骨董屋さんや主催者さんにあいさつをしながら、骨董やアンティークを見るのは、とても楽しい仕事です。興味のある品物を身近で見ることの出来る喜びや、いろいろなことを骨董屋さんに教えてもらうことが出来ます。
こういった現場を歩くと、いい気分転換になります。その上、会場内で『集』が売られているのをみると、思わずうれしくなってしまいます。できる限り多くの人に、読んでもらいたいと思います。
弦楽四重奏のイベントがやっていて、聴きなれたビートルズのナンバーや映画の曲などが流れ、会場を盛り上げていました。歩き疲れたら、その演奏をみながら一休みを出来る仕組みです。
入場料・駐車場は無料だし、会場で売られていたパンは一個80円だった(たぶんですが。違っていたらすみません)し、とにかくお客の負担を減らそうという努力がとても良心的だと思いました。入場料や駐車場料金もとる催事が悪いとは言うわけでは、決してありません。そういった催事には、そいうった催事の良さがあります。いろんなタイプの催事があり、お客にとって、喜ばしいことだと思います。選ぶ楽しさとうやつでしょうか。
個人的には、この位の規模の催事が群馬にもあればな、と思いました。ちょくちょくこのような催事が行われる、首都圏の人たちはうらやましいです。(イトイ)
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