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肥満は深刻な問題だ。
肥満になりやすい人は以下のような要素があるようだ。
1食事時間が不規則である
2 朝食を抜いて、タ食をまとめ食いする
3 間食や夜食が多い
4 甘いものが好きだ
5 大酒飲みである
6 はや飯食いである
7 おなかいっぱい食べないと気がすまない
8 食べることがストレス解消になっている
9 運動やスポーツを自分ですることは嫌いだ
10 少しの距離でも歩かないでタクシーに乗る
(ホームページ「本当の時代」より)
私は2、4、5、6、7があてはまる。
肥満は、心臓血管系の病気を起こしやすく、
さらには糖尿病、痛風、高脂血症などの
代謝性疾患を合併しやすい。
その他胆石症、膵炎、脂肪肝などの消化器疾患、
変形性関節症などの運動器疾患、
月経異常、妊娠合併症などの産婦人科疾患など、
多くの病気が肥満に合併しやすいといわれている。
なかなか深刻なのだ。
私の理屈からすると、太りたくなければ、食べなければいいのだ。
日頃の食事の量を半分にするだけで、随分やせることが出来るはずだ。
私にとってシンプルで一番現実的な考え方だ。
極端なダイエットは健康に悪いし、
長続きするわけがない。
だから一ヶ月で5キロ痩せようとするとりも、
一年かけて5キロやせようとするほうが良いと思う。
一ヶ月約0.4キロ痩せてゆけば、
一年後には5キロ減っているのだ。
そのくらいのほうが、楽だし健康にも良いし、
長続きしそうだ。
さらに体重計は、デジタルにするべきだ。
あいまいなアナログの揺れる針よりも、
ぴたりと数字で表示されるデジタルならば、
ごまかしはきかない。
そして体重だけにこだわるのは、
良くないと思う。
ダイエットしたい人のほとんどの理由は、
見た目なはずだ。
ならば極端な話、40キロででっぷりした外見よりも、
80キロですらっとした外見のほうでも良いはずだ。
ベストの体重より5キロばかり増えていた時期があり、
これをどうやって減らそうか、いろいろ試してみた。
ヨーグルトとビール酵母。
これの方法は一週間の命だった。
ヨーグルトと酵母を買い、全部食べてしまうと、
もう次に買いに行くのが、面倒くさくてやめてしまった。
朝のジョギング。
これはいかにも健康的に体重を減らすことが出来るのだが、
朝起きるのが、
つらいのと、意外と体重が減らない。
長い期間、じっくりと走るのがいいのだが、
好きで走っているのならともかく、
減量という目的のために走るのはつらいもので、
一ヶ月くらいでやめてしまった。
ハラのたるみが気になったので、腹筋も毎日30回やった。
これは半年くらい続けたのだが、
一時期ハラがしまったかのような気がしたが、
腹筋30回という運動量になれてしまうと、再びたるみだしたのでやめてしまった。
何をしても続かないのだ。
だいたい大の男が、太った、痩せたと
騒ぐべきではない、
という考えもないわけではない。
しかし結局、食事制限をした。
食わなければ、太らないというシンプルな考えだ。
まず間食はしない。朝昼晩三食を腹いっぱいたべない。
でも一日1回は、ガッチリ食う。
それこそすきなだけ食べる。
オプションとして庭掃除と犬の散歩をした。
私は二十代前半の頃、食べるものは、
わざわざカロリーの多いもの・グラムの多いものを選んで買っていた。
いかに腹いっぱいになるかが、生活の上でかなり重要だったのだ。
缶詰め一個買うにも、真剣にすべての種類の
値段とカロリーとグラムをみて、
グラムに対しての値段の一番安いものを選んで買っていた。
今考えると、そんなことに頭使っているのなら
働けばいいのに、と思うのだが、
どうしょうもない怠け者だったのだ。
昔に比べればカネもあるので、贅沢しなければ、
腹いっぱい食べられる。
食べ盛りには食べられないで、
それほど、食事の量は必要ではなくなったときに、
カネはある。
人生ってやつは、
こういうことが、よくおこるものだ。
「アメリカ人は、世界で一番太っている」
私がアメリカの学校に通っていたときに、
そこのトムという教師が私に教えてくれた。
「どこの国に行っても、これほど太っている国民はいない。
我が国ながらうんざりだ。
アメリカ人はファーストフードのハンバーガーをよく食べるだろ。
よく言われることだが、低カロリーのダイエットコーラを飲んで、
バケツみたいに大きい入れ物に入った
油っぽいフレンチフライを全部食っちまう」
フレンチフライとは、フライドポテトのことだ。
アメリカではそういう。
「だからみんな太ってる。
みんななんとなく、やせたいと思い、低カロリー食品を食べているけど、
量が半端じゃない」
アメリカでは人口の30%が、肥満であり、
年間40万人が何らかの肥満の原因で死亡しているという。
肥満は病気ではなかったが、
最近は、状態によっては病気とみなされる場合もある。
人昔前のアメリカでは、
太っていると出世出来ないというようなことが言われていたが、
今では太っていると、病気になってしまうという認識のほうが高い。
「それほど肥満は危険なんだ。
それでもやせることが出来ないのは、
本当にアメリカ人が危機感を覚えていないからだ」
私の個人的な意見は、肥満よりは痩せているほうが、
健康も見た目もいい、ということだ。
つづく
■2004/7/23(金) 火・水曜日休むと書きつつ
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火・水曜日休むと書きつつ、
翌日の木曜日も休んでしまった。
水曜に群馬に戻り、そのまま事務所へ直行し、
翌日まで仕事をし続け、
更新する余裕がとてもありませんでした。
というわけで、今日からまた通常通り
やりますので、
よろしくお願いします。
新潟へ行ってきたのだが、
他の土地に行くと、帰って自分の住んでいる土地を意識するものだ。
群馬の人間は言葉が荒い。
群馬県人にしてみると普通の会話なのだが、
他県の人達からすると
まるでケンカを売っているような言葉遣いらしい。
私も機嫌は悪くないのに
他県の友達に
「怒っているのか?」
と聞かれたことがあった。
学生時代は、群馬を離れていたが
久し振りに帰ってくると
群馬特有の言葉使いの荒さに気づいた。
「ちっとんべぇ、やせたかい?
どうせ貧乏だから、ロクなモン食ってねぇだんべ」
こんな感じが群馬弁だ。
「ちっとんべぇ(少し)」や「だんべ」などの
言葉が田舎クサイのは、仕方がないし、
それもひとつの文化である。
ここで注目してもらいたのが、
「どうせ貧乏だから」
というフレーズだ。
なんの根拠があるかは知らないが、
「どうせ貧乏だから」
という決めつけるような
物の言い方をする人間が多い気がする。
そういう決めつけたような
言い方がケンカ腰に聞こえるのかもしれない。
私自身、決めつけて物を考えるクセがある。
例えば、
阪神タイガースは、20年に一度しか優勝できない、
ハンカチ・ティッシュを持ち歩く男は信用できない、
AB型は天才肌に違いなく二重人格ではない、
というようなことを
私は何の根拠もなく信じている。
まだまだ決めつけていることがあるが、
くだらないので、ここでは書かないが、
私の頭は、偏見で満ちている。
この性格は
群馬の風土から来ているのかもしれない。
というように
他の土地へいると群馬を感じる。
■2004/7/19(土) ビックサイトの骨董ジャンボリーに行ってきた。
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ビックサイトの骨董ジャンボリーに行ってきた。
ちなみにジャンボリーとは、
ボーイスカウトの大会、フォークコンサート、 陽気な集会という意味だそうだ。
骨董の陽気な集会というような意味なのだろうか。
500店舗ものサイトものお店が集まるので、
会場を一回りするだけで
運動不足の私にとっては
ちょっとしたエクササイズになる。
顔見知りの骨董屋さんに挨拶をするだけでも
クタクタになってしまう。
それほどの広さと店舗数だ。
私に言われるまでもないと思うが
骨董好きの人は
是非一度は行ってみて欲しいと思う。
ところで
明日・明後日と出張なので、
編集だよりはお休みになります。
■2004/7/16(金) 最近私は漫画ばかり読んでいる
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最近私は漫画ばかり読んでいる。
月曜はスピリッツにジャンプ、水曜はサンデー、マガジン、木曜はチャンピオン、モーニング。
これは週刊誌だけの話である。
しかしこれらを端から端まで読むのではなく、
好きな作品をちょこっと読む程度だ。
日本には漫画が溢れている。
私と漫画をつなげる場所は
チェーン店型の古本屋とコンビニである。
本屋へは漫画以外のものを買いにいくが、
漫画は古本で済ませ、新刊はコンビニで買うのだ。
私はいかないが、漫画喫茶もあるから
暇なときは漫画に限るという人も多いと思う。
話は少し変わるが
最近の漫画は連載を休むことが多い。
私の子供の頃は
例えば『キン肉マン』が一週間
休みだったら
その落胆はものすごかった。
あと一週間もまたなけりゃならないのか・・・。
気の遠くなるような感覚。
現在はそこまで思い入れはないので、
別に載ってなければそれでいいのだが、
子供たちはがっかりしてるのだろうか?
してるだろうな、と思う。
とコンビニで立ち読みをしながら
最近思う。
「茶を飲まなくては話にならんよ。
日本人と茶とはなにか離れがたい因縁があるんだ。
茶道はその飲み方を学ぶのだ。
いわば人生の基礎工事なんだ。」
北大路魯山人の言葉だ。
魯山人は、ただひたすら美しいもの優れてたものを置き、
それらに囲まれた生活を望んだが、
自分の審美眼にかなうものがないため、
自分で創った。
魯山人が作陶し残した作品は
およそ20万点という。
その間、わずか30年だ。
30年といえば約1万日だ。
つまり平均すれば
1日20点の作品を生みだしたことになる。
しかも魯山人の人生において
創りだした作品は、
篆刻、絵画、漆、金工、染織、造園、料理等々。
彼は総合的な芸術のプロデューサーであった。
そういう人が
「茶を飲まなくては話にならんよ」
と言うのだ。
美に生きよう、
または携わろうとする者は、
茶は無視できないジャンルなのだ。
茶道とも茶の湯とも呼ばれ、
これは、伝統的に儀式化された様式に従って、
抹茶に湯を注いでお茶をたて、客にすすめ、味わうものだ。
お茶を飲むことは中国から伝わり、
当初は僧侶だけがたしなんでいましたが、
すぐに武士の間にも広まった。
16世紀に千利休がそれを芸術にまで高めた。
茶道ではなくても
お茶は日本人には欠かせないものだ。
高級なお茶もあれば
ペットボトルで簡単に飲めるお茶もあり
多種多様だ。
今のグルメブームやその他の日本の文化を
魯山人はどう思うのだろうか?
聞いてみたい気がする。
■2004/7/13(火) 骨董辞典(仮題)作成中
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骨董辞典作りは
すごく勉強になるが、
とても大変な作業だ。
驚かされるのは、
私の知らないことが
あまりにも多すぎるということだ。
例えば
「入れ子」という言葉を広辞苑で調べてみると、
「箱などを、大きなものから小さなものへ順次に重ねて組み入れたもの」
とある。
もちろん、入れ子という言葉の意味を今知ったのだが、
かなりの数の骨董用語が
私にとって未知の言葉なのだ。
調べる度に
「なるほど」と思う。
こう書くと、
今私はものすごい勢いで、
骨董の知識を吸収している印象を持つ
読者もいるかもしれない。
しかしものを一回読んだだけで
覚えれれば、苦労はない。
一週間後、「入れ子」って何?
と質問されたなら、確実に答えられない自信がある。
骨董辞典を完成したとき、私はいくつの知識を吸収しているのだろうか?
ある意味楽しみだ。
■2004/7/12(月) 骨董辞典移行のお知らせ
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骨董辞典を編集だよりで
書いているが、
骨董豆知識という
ページがあるので、
近日そちらへ移行する予定です。
ほぼ毎日
編集だよりを更新してますが、
あまり骨董のことにふれていないのは、
大きな反省点です。
私は骨董の本を作っているので、
書くといったら骨董についてです。
だから編集だよりくらいは、
骨董以外のことが書きたいなぁ
と思ってしまうのです。
肉ばかり食べていると
野菜や魚が食べたくなるのと
似ています。
このページ更新という仕事は私にとって
バランスを保つのに非常に重要な仕事なのです。
毎日暑い。
あんまり暑いので
昨日更新するのを忘れてしまった。
さて骨董辞典である。
赤膚焼(あかはだやき)
遠州七窯のひとつ。
奈良市五条町を発祥とする。
柳沢尭山(やなぎさわぎょうざん)の援助で寛政年間(1789〜1801)に発展。
尭山死後、
奥田木白(おくだもくはく)が赤膚焼の名をひろめた。
今回で三回目だ。
これを完成させるには、とても長い時間がかかるだろう。
まだ「あ」なのだ。
2〜3週間も書けば、
立派な辞典が完成すると思っていたが、
甘い認識だとわかるのに時間はかからなかった。
上野焼(あがのやき) 遠州七窯(えんしゅうななかま)の一つで
福岡県田川郡赤池町の陶器。
高台が高いのが特徴で、
主に土灰釉(どばいゆう)・藁灰釉(わらばいゆう)を使用。
福知山山麓の釜ノ口窯が有名で
出土品は唐津と類似する。
その始まりは、慶長年間(1596-1614年)の細川藩御用窯という。
「遠州」とは小堀遠州(こぼりえんしゅう)のことで、
江戸時代の武士であり、当代屈指の文化人だ。
茶道を古田織部に学び、三大茶人と呼ばれ、遠州流茶道の創始者で、
三代将軍の家光の茶道師範を務めた。
また建築家・造園家としても一流で、
駿河城をはじめ、二条城、大坂城などの作事奉行として活躍をした。
藍柿右衛門(あいかきえもん)
染付の柿右衛門様式。
生地が薄く繊細なつくりのため、比較的軽い。
伊万里焼の一種だが、
一見して柿右衛門的な分かりやすい構図のものもあれば、
微妙なものもあり、
そのあたりが、伊万里焼の面白さであり難しさであろう。
染付方が他の伊万里の染付より
ふわっと柔らかい印象を与える。
青木木米(あおきもくべい)
1767-1833年。
江戸時代後期の京焼(きょうやき)を代表する陶工で南画家。
幼時から多芸多才で、中国・朝鮮の陶磁器を学ぶ。
奥田穎川(おくだえいせん)に学び、京焼を継承する。
煎茶道具類を中心に、巧みな幅広い作風が特徴。
青木龍山(あおきりゅうざん)
青木龍山・大正15(1926)年有田町生まれ。
本名・青木久重。多摩美術大日本画科卒。
黒天目シリーズで作家としての地位を確立。
青手古九谷(あおでこくたに)
古九谷様式(こくたにようしき)の一種で、
17世紀中期頃に九谷の地で生産された色絵磁器。
交趾焼三彩(こうちやきさんさい)の影響ともみられる強烈な色は、
赤をのぞいた緑・黄・藍・紫などの色釉(いろぐすり)で器全体を塗り込めた。
赤絵(あかえ)
色絵(いろえ)ともいう。
赤を主体として緑・黄・藍などの多彩な色釉(いろぐすり)を用いて
上絵付け(うわえつけ)をしたもの。
古赤絵とは中国明時代初期から中期に輸出向けに焼かれた色絵磁器で、
呉須赤絵とは明末期の輸出向け輸出向けの色絵磁器である。
江戸期から大量に輸入された。
赤絵は、日本では有田で始まった。
赤絵屋(あかえや)
佐賀県有田の上絵付け(うわえつ)業者。
上絵の調合と赤絵焼成を行う「赤絵屋」は
高度な技術を要する仕事で
鍋島藩では技術の漏れを防ぐため
1672年に皿山代官所はそれまで営業をしていた赤絵専門の11軒だけを認め、
それ以上赤絵屋が増加するのを制限した(ただし1768年には16軒となる)。
これらの赤絵屋が存在していた場所が、
有田町内にある現在の赤絵町にあたる。
現在まで続いているのは今泉今右衛門家ただ一軒のみ。
今日から新企画である。
骨董用語辞典と称し、
「あ」から順に説明してしてゆく。
あ
藍九谷(あいくたに)
寛文様式ともいう。
藍九谷というが、これは初期から中期頃の伊万里焼である。
なぜ「伊万里焼」
「九谷」とややこしい名前なのか?
ちょっと前までは、
これらの上手のお皿は有田(有田は伊万里の生産地)ではなく、
九谷の窯で焼かれていた
と考えられていたからだそうだ。
実際、有田の山の中で陶片が発見されてから
「伊万里」だったということで、今は落ち着いているようだ。
しかし、未だに九谷は有田では焼かれていない、
と考えている骨董屋さんや学者さんもいる(この論争の詳しくは、「九谷焼」の項でする)。
そういった名残で
「藍九谷」と呼ばれている。
ダミ(塗りつぶし)を用い出したのも、
この藍九谷の特徴だ。
こういったややこしいのも
骨董の醍醐味のひとつだ。
自分のことは、 大してというより、
ほとんど 他人は興味がない。
常に興味の対象は自分だし、
他の人は自分のことを観ていると思っている人が多い。
多かれ少なかれ 人はみんなそう思っているはずだ。
私もその中の一人だ。
でなければ極端な話、お洒落なんかする必要ない。
私も最近はお洒落には、
縁遠くなり いつも同じ服を着ている。
「他人から観られている」 ことを意識する自分が恥ずかしいからだ。
要は意識しているのだ。
「恥を知れ」「恥知らず」 という言葉があるが、
「恥」を知らないということが、 マイナスなことととらえられてきた。
「恥」を知るという文化は、
日本特有のものかと思っていたが、
英語でも ”Shame on you!(恥を知れ!)” という言い回しがある。
人間というのは、
他人を意識しながら、
生きてゆくしかない動物なのだなと思う。
一人では生きてゆけない というのは、
そういう意味もあるのだろう。
ニュースで、
中東問題とかが報道される度に、
日本の方針などが、
危惧されており、
ブッシュと一緒に小泉首相がテレビに映っている。
いかにも世界からも注目されている国だ、
という印象をうける。
しかし
日本は、世界でもよく知られている国だろうか?
私は十代の頃などは、
日本を知らない人間が世界にいるなんて
想像もしなかったことだし、
今でも「ジャパン」という国名くらいは聞いたことあるだろう
と思っている。
これは私の個人的な考えだが、
日本人が思っているほど、
日本は世界の人々に(あるいはアメリカ人に)
知られていない。
私などは
単純なので、世界というと
なぜかアメリカを思い浮かべてしまう。
日本に流れた
アメリカ文化に
どっぷり浸かっている世代なのだ。
ジーパンにアメリカ人はあまりはかないアメリカ製のブーツを愛し、
マクドナルドを主食とし、
コーラを直接1.5リットルのペットボトルで飲む。
私以外にもこういう20〜30代は多いはずだ。
こういう私に
他にも世界の国はあるだろう
と言われても、理屈ではわかるが、
子供の頃は、ブルース・リーやジャッキーチェンなどの
香港のカンフー映画を観て育った私ですら
咄嗟に外国と言ったら、香港の夜景ではなく、
カリフォルニアの青い空みたいなアメリカしか想像できない。
逆にアメリカ人が外国と言ったら、
どこを想像するのだろうか?
日本ではない気がする。
そのアメリカ人がどのくらい
日本について知っているかと言えば、
それほどは知らないはずだ。
「日本はヨーロッパの隣くらいにあるんだろ?」
私の知りあいの、アメリカ人中年男性の言葉だ。
シルクロードでつながる中国とヨーロッパ。
日本は中国に近い。
つまりヨーロッパと日本も隣接してる。
そういう理屈だ。
なるほど、一応のスジは通っている。
中国がとてもデカイことを考えなければ。
もちろん、日本の位置を
日本人以上に正確に把握している
アメリカ人だって多い。
でも日本の知名度なんてそんなとこだろう。
逆に考えてみればわかる。
ベンツの好きな日本人だが、
世界地図をみたとき、
何人が、ドイツの位置を指させるだろうか?
あるいは、世界で一番人気のあるスポーツ・サッカーだが、
その発祥の国はどこか?
日本だけではなく、
普通他の国のことなんて
知らない人が多いのだ。
私はつねづね思うのだが、
このことを個人の関係にしてみても
同じことが言えるのではないだろうか?
つづく
私は『陰陽師』の筆者である
夢枕獏のファンだ。
といいつつ『陰陽師』はちらっと読んだだけだ。
私は、夢枕獏の
『餓狼伝』を愛読しているのだが、
4冊で終わる、と一巻のあとがきで
書いてあったのに、
毎回のあとがきで、
あと2冊で完結すると書き続け、
今では、13巻にもなっている。
この作品は格闘技に生きる男達の物語で、
例えるなら、素手で闘う現代版『宮本武蔵』だ。
作者は終わらす気あるのだろうか?
と思うほどだ。
夢枕獏自身も
「大河小説は未完のままのほうが、
より読者へ印象が残る」
みたいなことを書いている。
獏よ、たのむから
死ぬ前に『餓狼伝』を完結してくれ
と心から願ってる。
この夢枕獏は、
とてもジャンルの広い小説家で、
SFも書けば、登山小説も書く。
趣味は陶芸という。
獏は
丸い愛嬌のある眼鏡をしているが(雑誌でそういう眼鏡をかけていたが、実際はどうだろう?)、
それが陶芸姿とよく似合う。
獏いわく
趣味が作品に生きるそうだ。
登山小説の
『神々の巓』も
趣味の登山からヒントを得たという。
獏の書く登場人物は
すごく魅力的で
現在の日本で、男を書かせたら、
彼の右にでるものは、
何人もいない。
男を読みたいならば、
獏の小説を読むべきだ。
面白いぞ。
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